鎮守府新聞ワレアオバ│Naval District Newspaper Ware Aoba

遠征報告:「陸にあがった海軍」展に行ってきました
2015.03.22

どうも、青葉です。

今日は神奈川県立歴史博物館にやってきました。


こちらでは1月31日から

特別展「陸にあがった海軍-連合艦隊司令部日吉地下壕からみた太平洋戦争-」
開催されていました。

青葉としてはぜひ取材せねばと思っていましたが
諸々ありまして行く機会が無いままに3月に入ってしまい、
公式サイトの告知で最終日の3月22日に
学芸員による展示物の解説を行うとありましたので
ただ見学するよりも解説があった方がいいよねとやってきました。

ざっと概要を説明しますと、
聯合艦隊司令部は創設以来艦隊旗艦に置かれていましたが、
大東亜戦争の末期の戦局悪化や戦域拡大に従い、司令部は陸上にあがることを余儀なくされます。

木更津沖に停泊させていた軽巡洋艦「大淀」を経て
慶應義塾大学のキャンパスがあった日吉に大規模な地下壕を掘削して司令部が置かれ、
レイテ沖海戦以降、敗戦を迎えるまで使用されたとのことです。

ちなみに日吉が選ばれた理由は、慶応大学学長(小泉信三氏)との縁があったことや
学徒出陣などにより生徒が使用していた宿舎などに空きが出来ていたこと
鎮守府のある横須賀や霞が関の海軍省への交通の便が考慮されたことと言われています。

日吉を通る東急東横線は1926年開通ですので当時から鉄道による交通網が確保されていたとはいえ、
横須賀へは横浜での乗り換えが必要であったりするので、交通の便という点に青葉は疑問に思いますけど。

学生宿舎は当時としてはモダンなデザインが取り入れられ
大浴場や露天風呂まであって海軍関係者は気に入ったそうです。

戦争末期の学徒出陣に際してこの宿舎を去る学生は思い思い落書きを残しており、
それも展示されていました。

務めていた女性職員が終戦に伴う解散に際して離れ離れになる同僚に寄せ書きを頼んだところ、
どういうわけか将校にまでわたり、日常的な別れを惜しむ文章に混じって、
「敗戦はしたが東洋精神が西洋精神に負けたわけではない」という
(本人にしてみれば)激励が書かれていたりする「手帳」が展示されていました。
別のページには同僚の女性職員が描いた犬のイラストがあったりとカオスですがw

地下壕は初期の蛍光灯が使用されていて、現在に比べれば半分以下程度の光度だったらしいのですが、
「昼のように明るい」と言われていたそうです。

しかもその蛍光灯を調査したところ、プラグにマツダ (MAZDA)と書いてあり、
明治からマツダブランドで白熱球を生産していた東芝に問い合わせた結果
現存する(当時の)蛍光灯が見つかったとか。

また洗面台と思しき陶器の欠片に東洋陶器のロゴがあり、
これまたTOTOに問い合わせると、該当する商品の設計図まで出て来たとか。

日本の技術は綿々と戦前から受け継がれていた証拠ですねえ。

他にも戦中に特攻隊員だった西村晃さん(俳優:水戸黄門役など)が特攻に臨んだ際の遺書。

戦艦大和に搭載されていたものの、最後の沖縄出撃を前に降ろされたために残されたソファや
艦長室に飾られていたという「大和守護神」堂を描いた掛け軸などもありました。

開催にあたってはいろいろな方面からの意見がありご苦労があったようですが、
来たかいがあったと感じるほどに興味深い品が一堂に集まった特別展でした。

企画展の図説が発売されていたのですが、品切れとなっていました。
青葉は博物館付属の図書室で閲覧しましたけど、欲しかったですねえ……

代わりにミュージアムショップで売られていた
フィールドワーク 日吉・帝国海軍大地下壕」という書籍を購入しました。
これで理解を深めたいと思います。

いずれ地下壕にも行ってみたいものですね。

以上、青葉でした。

特別展「陸にあがった海軍 -連合艦隊司令部日吉地下壕からみた太平洋戦争-」

神奈川県立歴史博物館
会期:2015年1月31日(土)~3月22日(日)
URL:http://ch.kanagawa-museum.jp/tenji/kako/toku/toku-navy.html
関連記事:取材レポート「陸にあがった海軍」(インターネットミュージアム)


Next「遠征報告:潜入!米海軍横須賀基地

↑ PAGE TOP