鎮守府新聞ワレアオバ│Naval District Newspaper Ware Aoba

遠征報告:横須賀と海の防人の伝統を考える (1/3)
2015.04.22

どうも、青葉です。

今日は海上自衛隊横須賀地方総監主催の
「横須賀と海の防人の伝統を考えるシンポジウム」を取材してきました。

1865年に横須賀製鉄所、のちの横須賀海軍工廠が建設されて
150周年の記念すべき年なんですねえ。

第1部は横須賀音楽隊のコンサート
音楽で横須賀の歴史を辿るという主旨だそうです。

演奏された曲をYoutubeの動画でお楽しみ下さい。


「ヘイルコロンビア」
初代アメリカ国歌だそうです。
ペリー提督来航時、浦賀に上陸した一行は
この曲を奏でながら行進したそうですよ。


「トミーポルカ」
遣米使節団の通訳、立石斧次郎はアメリカでトミーの愛称で人気を博し、
彼のことを歌ったこの曲が作られたそうです。

※動画見つかりませんでした
「勝利の歌」(フランスの行進曲)
横須賀製鉄所は徳川幕府末より建設が開始。
フランス人技術者、レオンス・ヴェルニーが招聘され、
明治9年に帰国するまで造船所(製鉄所)の発展に尽くしました。


「日本海海戦」
明治36年横須賀造船所は横須賀海軍工廠に改称。
明治38年に行われた日本海海戦では
横須賀工廠で建造された音羽、新高、千早、そして多数の駆逐艦が活躍しました。


「鎮魂 同期の桜」「巡検ラッパ」「海ゆかば」
横須賀には海軍の水雷・砲術・機関学校、海兵団が置かれ、
水兵の教育の場として発展しました。
海軍工廠では1万9千人もの工員が働いていたそうです。


「海のさきもり」
海上自衛隊創設1周年を記念して作成された曲で
現在は海上自衛隊の儀礼曲として使用されています。


「星条旗よ永遠なれ」
現在の海上自衛隊は帝国海軍の伝統と精神を受け継ぎ、
アメリカ海軍の長所を導入して発展していくそうです。


「小栗のまなざし」
横須賀製鉄所の建設を検索した幕末の偉人、小栗忠順公を称える曲です。
小栗公は明治への過渡期に薩長軍により逮捕され刑死します。
後に日本海海戦に勝利した東郷平八郎元帥海軍大将は小栗公の遺族を探し出し、
小栗公の建設した横須賀製鉄所(海軍工廠)が勝利に貢献したことへの感謝を伝えたといいます。

ちなみに週刊少年ジャンプで『花さか天使テンテンくん』を連載していた小栗かずまた先生は
小栗忠順公の玄孫(三河小栗氏の17代目当主)だそうです。
その縁で横須賀のマスコットキャラ「ペリリン&オグリン」をデザインされています。


「行進曲 軍艦」
アンコール曲として演奏されました。
海軍の公式行進曲で、現在も海上自衛隊の公式行進曲として使用されます。
世界三大行進曲と言われていますが、
他の2つの曲については特に言及されませんよね。

第2部は田浦にある海上自衛隊第2術科学校校長、
下薗海将補による海上自衛隊創設史の基調講演。

これ解説すると話が長くなるので
「NHKスペシャル 海上自衛隊はこうして生まれた~全容を明かす機密文書~」
を見ていただくのがわかりやすいと思います。
(DVDで発売されています。TSUTAYAのオンラインレンタルでも借りれました)


つづきます。

青葉写真館
本文で紹介できなかった写真たち

シンポジウム会場に飾られていたパネルです。

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