鎮守府新聞ワレアオバ│Naval District Newspaper Ware Aoba

遠征報告:「陸奥」主砲、ついに公開!
2017.03.25

どうも、青葉です。

お台場の船の科学館から移設作業から約半年。
とうとう「陸奥」の主砲お披露目の日がやってきました。

横須賀の新たな海軍遺産が誕生する日なのですけど、なぜか大々的には取り扱われず。
記念式典開催の告知らしい告知は横須賀市の報道資料のみ。

京急さんが横須賀市と共催している沿線ウォークも陸奥主砲公開に乗っかっていたのですけど。
横須賀市の観光サイトはそちらは告知するのに記念式典は告知しない。

なんか違和感があるのですが……
横須賀の事情は複雑怪奇です。

ともあれ、主砲移設を見守ってきた青葉としては、記念式典を是非とも見ないと!



というわけで行ってきました。


逸見岸壁には先日就役した「かが」が居ました。

先代「加賀」は改長門型の加賀型戦艦として進水しましたが、
ワシントン海軍軍縮条約で建造中止となり、
標的艦となるために横須賀に回航されて放置されてところで関東大震災が発生。
海軍工廠で改装中だった「天城」が修理不能の損傷を受け、代艦として空母へ改装されました。

青葉の調査では今回移設された「陸奥」の主砲は、
もともとは加賀型戦艦に搭載する予定で製造されたものだったそうです。

艦名にまつわる、いろいろな運命の縁というものを感じてしまいますね。


「陸奥」の主砲も長らく覆われていたフェンスが取り除かれてこの通り。
抑気具(砲口栓)が呉のものと違ってそれらしい意匠だけというのが残念ですが。

塗り直された色は船の科学館時代とは異なりますが、
これは呉の大和ミュージアムに展示されている片割れのほうに合わせた色合いです。
個人的にはこちらのほうがいいと思います。


新たに建立された「鎮魂」の碑は「陸奥」の主砲里帰りの趣旨に賛同された書家の方の手によるもの。
碑に使われた御影石は、かつて横須賀海軍工廠で使用されていたとのことです。

これらの情報はお披露目に先んじて、テレビ神奈川で放映された特集番組で知りました。

ちなみにその番組では主砲製造がどこで行われたのかも追っており、
呉海軍工廠で製造されたことが判明したことも放映されました。

当時、41cm砲は呉海軍工廠と日本製鋼所室蘭工場の2ヶ所でしか製造できず
呉の大和ミュージアム前に設置されている片割れの方は日本製鋼所室蘭工場製らしいのですが……


式典のために海上自衛隊の音楽隊もスタンバイ。


テントの横には……VRゴーグル?
その場で聞いた話では「陸奥」のVR映像体験ができるそうです。

Oculus Riftじゃあないようですけど。
「陸奥」のVR映像って神田技研の仁志野さんの仕事でしょうかねえ。

そんなこんなのうちに式典が始まりました。

式典には吉田雄人横須賀市長、小泉新次郎衆議院議員、
「陸奥」主砲移設のために「陸奥の里帰りを支援する会(陸奥の会)」を立ち上げた
第27代統合幕僚長、齋藤隆氏の姿がありました。
他の人はどなたかよく知りません(ヲイ


式典には見学者がこれくらい来てました。
関心が高い事が解りますねぇ。


式典は祝辞やテープカット、海自音楽隊の演奏などで約40分ほどで終了。

式典後は主砲周りを撮って回ります。


立派な説明板も設えられました。



VR映像体験は式典の招待者くらいしかできないのかなと思っていたら、
一般の人もOKなようなので、列に並び体験。

3分程度の体験映像でしたが、
「陸奥」の外観を飛ぶような視点で見た後に途中からはなぜか「大和」の内部映像に。
これって前に見たことが……

仁志野さんの仕事じゃないですか!

まあ、そうですよねぇ……

主砲すぐそばのヴェルニー記念館にこういう機器を設置して
いつでも見られるようにしておくと良いかもしれませんね。
現物を見るだけではなく体験が出来ることは大きな意義があると思います。

「陸奥」が謎の爆発で喪失したのは6月8日だそうですが、
今後は慰霊行事とか行われるんでしょうかねえ。

ただ移設しただけではなく、技術や戦争を未来へと語り継ぐ遺産となっていって欲しいですね。

以上、青葉でした。


戦艦陸奥主砲里帰り記念式典

日時:平成29年(2017年)3月25日(土曜日)午前11時から午前11時40分まで
場所:ヴェルニー公園(戦艦陸奥主砲前)
主催:横須賀市
参加者:陸奥の会発起人様、船の科学館ご関係者様、事業への寄附者様ほかご来賓の皆様
URL:https://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/0130/nagekomi/20170221.html

青葉写真館
本文で紹介できなかった写真たち

一緒に式典へ行った方々と酒保「伊良湖」へ。

目当ては「天龍の世界水準を越えたパフェ」


実物はこのように。味はゴマベースみたいな感じ?
容積の大半が氷でした。

3月という事もあり、伊良湖の店内には以前の一番くじで使われたお雛様グッズが飾られていました。

その後、記念艦三笠へ。

水彩画家・志磨隆氏の「日本を護る艦(ふね)たち」を見学してきました。
一枚飾るように欲しいですね。

追記(個人的な見解)
 

後日、こんな記事がありました。

横須賀ヴェルニー公園 戦艦陸奥の主砲案内板完成 「陰」の歴史に触れず(東京新聞 2017/04/09)

この市民団体は移設に際して、協力や費用の寄付など行ったのでしょうか?
そうでなければ自分たちの意見だけ通そうとはムシのいい話ですね。

そもそも「陰」の歴史を伝えるための移設ではないので、趣旨が異なります。
タダ乗りできなかった。おかしい。って……

それを伝えたいのならば、自分たちが出来る範囲で行うべきでしょう。
講座でも何でも。

乗組員の遺族もおられます。
その方たちに向けて「これは「陰」の歴史の象徴です」と語るんでしょうか?

永遠に分かり合えない事柄でしょうから、一切応じなかったことが正解だったと思います。

「鎮魂」が刻まれた碑が併せて建立されたことで、平和への思いが込められていると理解できます。

できない?
勉強が足りませんね。

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