鎮守府新聞ワレアオバ│Naval District Newspaper Ware Aoba

遠征報告:よこすか軍事遺構紀行
2015.06.29

どうも、青葉です。

今日はちょっとお休みをいただきましたので
夏の有明で行われる大規模作戦のための取材へ行ってきました。

目的は観音崎のとある場所なのですが、
道すがら色々なところに寄ってきました。

詳細な説明はウスイ=ホンにまとめる予定なので省かせていただきます。
(載せない部分もありますけど)

長浦港倉庫街
旧海軍が使用していた倉庫が残っています。
大東亜戦争後は米軍の管理を経て民間に払い下げられましたが、
一部は現在も海上自衛隊が使用しています。


走水水源地
海軍専用の水道として使用されていた近代水道施設です。
「ヴェルニーの水」の名で給水所が設置されているので、そちらから汲んでいくことが出来ます。

青葉が訪れた時もポリタンクなどで汲みに来ている方が居ました。

観音埼灯台
日本最初の洋式灯台として作られた灯台です。
現在は3代目で大正14年に作られました。


ちなみに地名は観音「崎」ですが、灯台の名称は観音「埼」と表記します。
理由は不明ですが灯台に「埼」を用いるところは他にもあるようですねえ。

北門第1砲台跡(観音崎)
大東亜戦争終結まで観音崎は陸軍さんが管轄していました。
第1砲台には2門の大砲が設置されていたそうです。


北門第2砲台跡(観音崎)
東京湾海上交通センターの近くにある第2砲台
6門あったようですが、現在は4門と弾薬庫が残っているとのこと。


第3砲台跡(観音崎)
第一、第二の各砲座に2門ずつ大砲が置かれていたようですが、
第二砲座部分が公園整備で消失、海の見晴らし台となっています。


戦没船員の碑(観音崎)
今回の主目的の場所です。
大東亜戦争時で戦没した商船などの船員の方々を慰霊しています。
毎年慰霊祭が6月に執り行われており、
先日執り行われた今年の慰霊祭には天皇・皇后両陛下がご臨席されました。


昨年までは特に注目していなかったのですけど、
ちょっと思うところが出来たので機会があれば訪れようと思っていた場所でした。

展望園地(観音崎)
日露戦争の旅順攻略にも投入された二十八糎榴弾砲が再現されていましたが、
老朽化のため平成27年3月14日に撤去されたとありました。
写真は見たことがありましたが、実物は未見でしたので残念です。


浦賀水道を先日乗艦したDD-110「たかなみ」が航行していました。
訓練に行くんでしょうかねえ。


旧軍が建造した潮の干満を調査する検潮所とも
潜水艦を捕捉するための聴測所(水中聴音所)とも言われる遺構。


駐車場近くに謎のコンクリート物体が…
こちらの説明によるとトーチカのようです。


駆逐艦村雨の碑
観音崎から浦賀方面へ向かう路上より撮影。
村雨ちゃんは横須賀の第二駆逐隊に所属していました。


浦賀コミュニティセンター分館(郷土資料館)
江戸時代からの浦賀の歴史が展示されています。
青葉としては艦これ登場艦を多数建造している浦賀船渠について見たいところですが
幕末の志士、中島三郎助さんに関する内容がメインとなっていました。


ここで17時を過ぎたので時間切れとなりました。
また時間を見つけて色々見て回りたいです。

以上、青葉でした。


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