遠征報告:商船の歴史に触れてきました2015.11.28
どうも、青葉です。
先日のFLEET WEEKで横浜を訪れた際、
商船改造空母「飛鷹」「隼鷹」を供出した日本郵船の歴史博物館と
大戦中に病院船として使用された貨客船「氷川丸」について少し記述しました。
いずれ取材をと思っていましたけれど、
ワレアオバの青葉は、初雪ちゃんや望月ちゃんと本質的に似てグータラなところがあって
ずるずると行かないままになる気がしましたので、一念発起してエイヤ!と行くことにしました。
というわけで、
赤レンガ倉庫にほど近い場所にある「日本郵船歴史博物館」にやってきました。
ギリシア神殿風なモダンな建物が良い感じですよね。
ちなみに歴史博物館と氷川丸は、ともに日本郵船が管理していて
両方に入れる「両施設セット券」がお得です。
具体的に言うと、700円(400円+300円)が500円になります。
どちらかに行くのみの場合は、ホームページから50円引きの割引券が印刷できます。
閑話休題
日本郵船は明治18年に設立された海運会社です。
三菱グループの源流企業のひとつでもあります。
こちらの歴史博物館では創設期から明治・大正・昭和、そして現在へと続く
日本郵船の歴史を展示しています。
四方を海に囲まれた日本では明治以降の海運は国策と密接な関係がありました。
日本郵船の前身である郵便汽船三菱会社は西南戦争の際には軍事輸送の主役を務めるなど、
軍事においても重要な役割を担わせられてきたわけです。
日露戦争においては、旅順封鎖で自沈させた船舶にも日本郵船の徴用船が使われているほか、
バルチック艦隊を発見し第一通報者となった仮装巡洋艦「信濃丸」も
海軍に徴用された日本郵船の船舶でした。
しかしこの時点では用船料という徴用に対する代金が支払われており、
喪失船舶においても補償金が支払われていました。
東郷平八郎海軍大将元帥の「信濃丸宛感謝状」なども展示されています。
第二次世界大戦が事態を一変させます。
欧州航路に建造した「新田丸」「八幡丸」「春日丸」は海軍に徴用されて
「冲鷹」「雲鷹」「大鷹」と名を変え、空母に改造されました。
ちなみに彼女たち「新田丸」級三姉妹船は日本郵船を象徴する客船として、
日本郵船株式会社のイニシャル“NYK”に因んで命名されていました。
和装の美人三姉妹に擬人化された絵葉書は画像検索などでインターネットでも見ることが出来ます。
北米航路用の「橿原丸」「出雲丸」は建造途中で海軍によって買い上げられ、
ご存じのとおり空母「隼鷹」「飛鷹」に改造されています。
建造中だった橿原丸級貨客船は空前の豪華客船として計画されており
無事竣工すれば「太平洋の女王」に君臨していただろと言われています。
豪華絢爛に作られていたインテリアなどは
海軍の買い上げで無残に破壊されたそうです。
その他、多くの日本郵船の船舶が徴用され、
そのほとんどが米軍の潜水艦等によって沈没させられました。
同時に多くの商船船員の命も失われました。
第二次世界大戦が終了して補償を求めた日本郵船に日本政府が支払った補償金は0。
というのも補償金に対して税率100%の特別措置法を作ったかららしいです。
青葉注記:戦時補償特別措置法
第十三条 戦時補償特別税の税率は百分の百とする
第十七条 納税義務者の有する戦時補償請求権は、戦時補償特別税額を限度として、第十四条の規定による申告書の提出と同時に、消滅する
まあ、青葉が言うのもなんですが、勝てない戦争はするべきではないですね。
歴史博物館では学芸員や館長代理による展示解説が時折行われているので、
それに合わせて行けば、より理解しやすいかもしれませんね
日本郵船歴史博物館
開館時間:10時~17時(入館は16時半まで) / 月曜休館日
入館料:一般400円
みなとみらい線馬車道駅から徒歩5分 / JR関内駅から徒歩10分
URL:http://www.nyk.com/rekishi/index.htm
じっくり見過ぎたせいもあって2時間もかかってしまいました。
山下公園の「氷川丸」に移動します。
「氷川丸」は現在のみなとみらい地区にあった横浜船渠で建造され、
戦前は日本郵船のシアトル・バンクーバー(北米)航路に就役していました。
戦時中は徴用されて病院船として使用され、
昭和18年制作の「海軍病院船」という戦記映画に当時の姿が写されているようです。
同型船が戦没する中、三度触雷するも沈没することなく終戦を迎え、
終戦後は引き揚げ船にも使用されました。
横須賀・浦賀は戦後に引揚指定港となっていましたが、
引揚第一船として「氷川丸」の名が残っています。
その後、日本郵船の国際航路に復帰しましたが、航空路の発達に伴い昭和35(1960)年に運航終了。
日本郵船も「氷川丸」の退役をもって客船事業から撤退しました。
以降、平成3(1991)年に「飛鳥」が就役するまで客船事業からは遠のくわけです。
(正確には「飛鳥」及び「飛鳥Ⅱ」は子会社の事業ですけど)
「氷川丸」は横浜市民の保存を望む声によって保存船として山下公園に係留され、
運営母体をかえつつも現在まで往時の歴史を現在に伝えています。
「氷川丸」の内部を見学します。
青葉たち軍艦とは比べ物にならない豪華なインテリアがいっぱいですねえ。
一等児童室
一等食堂
一等読書室
一等社交室
一等喫煙室
屋外デッキ
土日はオープンデッキが開放されており、そちらも見学してきました。
オープンデッキの開放時間ぎりぎりだったので先に行って戻ったのですが
係員さんに戻り先を間違われてしまい先を進むことに……
機関室
順路を戻りました。
エントランス(中央階段)
一等客室
船長室
無線室(本来はひとつ下の階にあるらしいです)
操舵室
「氷川丸」の船名は埼玉県大宮にある氷川神社に由来します。
操舵室には氷川神社の分霊を勧請した神棚があり、保存船となった今もお祀りされています。
幸運船にあやかって秋イベントで「Graf Zeppelin」待ちなAcnos艦隊のために祈願しておきました。
(祈願の甲斐あって、グラーフさんが着任しました)
「氷川丸」の見学が終わるころには日が暮れ、横浜は各所でライトアップがされていました。
軍艦ではない船舶や歴史を勉強できた一日でした。
青葉はせっかくなので中華街に寄って帰りますね。
以上、青葉でした。
日本郵船氷川丸
開館時間:10時~17時(入館は16時半まで) / 月曜休館日
入館料:一般300円
みなとみらい線元町・中華街駅から徒歩5分
URL:http://www.nyk.com/rekishi/index.htm