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遠征報告:陸上自衛隊久里浜駐屯地に潜入しました!
2015.10.24

どうも、青葉です。

陸上自衛隊久里浜駐屯地にやってきました。
今日は「駐屯地創立記念行事」に伴う基地開放です。

海を中心に扱ってきた青葉が、どうして今回、陸自さんへやってきたかというと。
実はこの久里浜駐屯地は、海軍通信学校があった場所にあるんです。

海軍通信学校は海軍の無線通信に関わる要員教育と技術研究を行っていた軍学校でした。
今の自衛隊でいう術科学校ですね。

明治のころから田浦、現在の海自第二術科学校がある場所にあった
海軍水雷学校内で通信科に関する教育が始まり、
その後、無線通信の重要性が増加したことで
昭和5(1930)年に水雷学校の敷地内に通信学校が設立されました。

第二術科学校の歴史保存エリアに「海軍通信教育発祥記念碑」が建立されているのはこのためです。

無線通信の技術発展と重要性はその後も増し、
大東亜戦争開戦直前の昭和14(1939)年に久里浜に移設されますが
敗戦により閉校。

戦後は復員局、米軍の接収を経て陸上自衛隊の前身、警察予備隊・保安隊が置かれ、
現在は陸上自衛隊通信学校となっています。
ちなみに最も古い駐屯地だそうですよ。

今年亡くなられた作家、阿川弘之先生は海軍予備学生時代に通信を専攻していて、
著書で「昭和十八年四月、久里浜の通信学校に入校した」とありましたので
こちらで通われていたことは間違いなさそうです。

敷地内には昭和47(1972)年に建立された「海軍通信学校碑」があるほか、
海軍時代の通信関連の装備などが展示されている歴史館があります。

平日に事前申し込みによって見学することも可能ですが、何と言うか…手続きが面倒です。
年4回ある基地解放日に訪れるほうが簡単ですねえ。



歴史館は敷地の片隅にひっそりと建てられたプレハブの建物でした。
内部の広さは学校の教室くらいですかねえ。

海軍時代の遺物や史料、久里浜駐屯地の歴史に関する展示。
自衛隊で使用されていた古い通信機材などが展示されていました。

一部の展示を紹介すると


海軍精神注入棒
映画やドラマなどでよく描写されるものですが、現存しているのはここにあるものだけだそうです。


『マレーの虎』山下奉文陸軍大将直筆の手紙
無線通信の重要性について書いてあるようですね。


各種無線機


おそらく戦後のものでしょうが、ソ連の無線機とアメリカの無線機も展示されていました。


「海軍通信学校碑」はグラウンドの方にあるという話なので移動します。


駐屯地本部庁舎の建物は海軍時代からの庁舎として利用されていて、
天皇陛下を迎えるための貴賓室も作られています。
(使用されなかったそうですけど)


水道も少し洒落た装飾がされてますね。


玄関ホールも時代を感じさせる重厚感があります。


玄関わきにレトロな乗用車が停められていました。
外国車? ……その割には右ハンドルですよねぇ。

青葉注記:
横須賀北部の追浜地区に広大な工場をもつ日産自動車が昭和20年代後半に自動車の製造技術を学ぶべく
イギリスの自動車メーカーBMCのオースチンをライセンス生産していました。
この車はそうやって生産された一台のようです。


「海軍通信学校碑」です。
通信学校内には「通信学校神社(通校神社)」があり、その跡に建立されたそうです。

通校神社は経緯は不明ですが、近くの長安寺の境内に移設されているそうです。

午後に別の用事があったため駆け足での見学となってしまいましたが、
創立記念行事の方もドリル展示や野戦通信設備を整える訓練展示、
装甲車や高機動車の体験乗車もあるそうなので、
また来てみたいと思います。

以上、青葉でした。

陸上自衛隊久里浜駐屯地創立65周年記念行事

平成27年10月24日(土)10:00~15:00
陸上自衛隊久里浜駐屯地
京急久里浜駅から徒歩約14分/JR久里浜駅から徒歩約15分

青葉写真館
本文で紹介できなかった写真たち









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