遠征報告:駆逐艦「村雨」慰霊祭に参列しました2016.03.05
どうも、青葉です。
今日は駆逐艦「村雨」の慰霊祭に参列します。
1943年3月5日、コロンバンガラ島への輸送に従事していた
駆逐艦「村雨」、「峯雲」が米海軍巡洋艦部隊の砲撃を受けて戦没しました。
横須賀には大戦で戦没した軍艦の慰霊碑が他の鎮守府所在地に比べて少ないですが、
「村雨」は横須賀・鴨居に、「峯雲」は衣笠・満昌寺それぞれ建立されています。
鴨居の駆逐艦村雨の碑には以前に行ったことがあったのですが、
Twitterを通じて知り合った元防衛水産業の司令官から
毎年戦没日に慰霊祭が執り行われているという話を聞き、
今年は是非とも参列させていただこうと思っていました。
まずは衣笠駅へ。
慰霊祭の前に駆逐艦峯雲慰霊碑へと行きます。
元防衛水産業の司令官が行くというので、同行させていただきました。
「峯雲」は朝潮型の8番艦。
駆逐艦建造の西の名門、藤永田造船所で建造され、第9駆逐隊の一翼を担いました。
僚艦は「朝雲」、「山雲」、「夏雲」の3隻。
艦これ的には未実装艦です。
満昌寺は頼朝の伊豆挙兵の際に加勢しようとして討死した三浦義明を追善するため
源頼朝が建久5(1194)年に建立したという古刹です。
境内には頼朝手向けのサツキが本堂前にあるほか、
(御手植えのツツジと紹介されていたりもするのですけど、サツキとツツジは厳密には別の花です)
国重要文化財指定を受けている三浦義明坐像があるそうです。
満昌寺に「峯雲」の慰霊碑が建立されたのは
生還した砲術長がこちらの檀家であったためとのこと。
生還した乗組員がこちらの檀家であったためとのこと。
訂正:役職は不明とのことです。
三浦義明の勇名に隠れてしまい、
「峯雲」の慰霊碑は知る人ぞ知る扱いになってしまっているのが残念なところです。
青葉は御供物代わりにお茶のペットボトルとぼた餅をコンビニで購入。
本堂左手にある墓地の高台に駆逐艦峯雲慰霊碑はあります。
右の碑文には戦歴、左の碑文には各県別の戦没者の氏名が刻まれています。
まだ午前中ということもあるのかもしれませんが、
青葉たちより前にどなたかがいらっしゃった様子はありませんでした。
お茶とぼた餅の封を切ってお供えします。
お花とお線香は同行の方が供えられました。
同行の司令官たちとともに鎮魂の祈りを込めて合掌。
横須賀には大戦前に多数の艦船が在籍していましたが、
個別に慰霊碑がある艦は少なく、駆逐艦に関して言うと「村雨」、「峰雲」のみです。
この後に行く「村雨」と異なり、「峰雲」の慰霊祭は特に行われている形跡はないとのこと。
元乗組員の高齢化が進み、こうした慰霊碑が建立されることは今後は難しい事と思いますが、
その反面、建立された後にお祀りされなくなっていることを残念に感じます。
(護衛艦「みねぐも」が就役していたころは、乗組員がお参りされていたかもしれません)
なお、以前書きました通り、御供物は回収するべきと考えていますので、
お下げしてから青葉が美味しくいただきました。
駆逐艦峯雲慰霊碑(満昌寺霊園内)
JR衣笠駅下車、徒歩7分の衣笠十字路(バス停)へ向かい、
衣笠十字路より、野比駅行バス10分、満昌寺前下車。
又は三崎行バス10分、衣笠城跡下車徒歩5分。
浦賀に移動し「村雨」の慰霊祭に行きます。
浦賀駅から「かもめ団地行き」のバスに乗り、鴨居で降車。
ここから徒歩で5分ほどのところに駆逐艦村雨の碑があります。
「村雨」は白露型駆逐艦3番艦。
藤永田造船所で建造され、
佐世保で建造されていた4番艦「夕立」とは同日竣工しているので、
双子のような関係だと思うのですけど……
艦これだと夕立ちゃんは時雨ちゃんと絡められることが多いですよね。
第2駆逐隊所属で僚艦は「夕立」、「春雨」、「五月雨」。
軽巡「那珂」率いる第四水雷戦隊の一員として、南方作戦に従事していました。
……もっと夕立ちゃんと絡んでいいんじゃないでしょうかねホントに。
駆逐艦村雨の碑は昭和57(1982)年3月5日に元乗組員の方々が中心となって
現在の場所の建立されました。
平成12(2000)年3月5日に近隣の鴨居八幡神社の飛地境内として登記され、
毎年3月5日には碑前にて神式の慰霊祭が催されています。
慰霊祭には元乗組員の方(ご存命で毎年出席されていたのは1名)とご家族の方や関係者のほか
昨年は艦名を引き継いだ護衛艦「むらさめ」が横須賀に寄港していたこともあって
4年ぶりに「むらさめ」乗組員が参列されたそうです。
今年は残念ながら元乗組員の方は体調の関係で欠席され、ご家族の方がいらしていました。
また「むらさめ」も訓練中とのことで、海自からは開発隊群の先任伍長さんが出席。
慰霊祭の初めに碑のすぐ脇にある旗竿に軍艦旗を掲揚するのですが、
人手が足らないので参列者で分担。
青葉は旗持ちのひとりに参加しました。
そしてやらかしました……
何をやらかしたのか、某風刺した絵に言うと。
顧客が本当に必要だったもの
実装された運用
紐に絡まって旗が広がらなかったです……
参列者の皆様、大変申し訳ございませんでした。
幸いにして風が強く徐々に広がっていたたため、
最終的には上のようにはためいてくれたのですけど。
あー恥ずかしいです。
練習の時はうまく行ったのに(泣)
慰霊祭は碑の前で宮司さんによる修祓(しゅばつ)と祭文奏上が行なわれ、
参列者全員が玉串奉奠(ほうてん)する流れで執り行われました。
青葉も玉串をささげさせていただきました。
玉串奉奠はお作法があるので
ちゃんと勉強して行かないといけませんね……
このような個別艦での慰霊祭は「村雨」のほかに
「雲龍」と「伊勢」が行われているのみだろうという話を伺ったのですが
(「伊勢」は月命日ごとにお参りが行われているそうです)
こちらを見ると……案外やっていますね。
聞くところによると、
このような慰霊祭で問題となっているのが元乗組員の高齢化による参列者の減少だそうです。
当時の若手だった方でも90前後ですからね。
事実、昨年の「空母信濃・思い出会」さんのように
遺族会が解散されてしまうこともあります。
記憶を風化させないために何が必要なのか。
それはご遺族やご家族、子や孫、ひ孫たちに慰霊祭へ参加していただいて
慰霊祭を継続していくことです。
「雲龍」の慰霊祭はご家族が来やすいように
毎年戦没日の12月19日付近の週末に開催することにしたのだそうです。
(今年は12月17日のようです)
正直、縁も所縁もない青葉が出席してもいいものなのか今回は大いに迷いました。
青葉にできるのは過去から続く今を語り継ぐことくらいですけど、
戦われた方への哀悼と畏敬の念を持って参列すると決めました。
今年は他の慰霊祭にも足を運べたらと考えています。
以上、青葉でした。
駆逐艦村雨の碑
京急浦賀駅より、かもめ団地行バス8分、鴨居下車徒歩4分。
又は観音崎行バス10分、腰越下車徒歩2分。
SpecialThanks:
写真協力:ごむを司令官 / 取材案内:やごろう司令官、住之江2機様