遠征報告:「はいふり」舞台めぐり(衣笠山編)2016.04.23
どうも、青葉です。
横須賀市が協力中の「ハイスクール・フリート(はいふり)」の第2話にて
ついに横須賀の風景が描かれましたねえ。
JR横須賀駅と諏訪大神社、隣接する諏訪公園らへんが描かれていました。
第1話で海多めな様子が描かれていたので
「はいふり」の横須賀も「アルペジオ」のように
海面上昇によって水没しているのかなあと思っていたのですけど。
海面上昇なら海がすぐそばのJR横須賀駅なんて真っ先に沈むでしょう……
しかし第2話中のセリフによると
「日露戦争のあと、メタンハイドレートの採掘を機に日本は地盤沈下を始めた。」
とのこと。
よかった。
水没した横須賀線はなかったんですね。
今日は「はいふり」をテーマに
キーヴィジュアルに描かれた衣笠山や第2話に登場した場所を巡ってみようと思います。
艦これに関係ないですって?
(∩゚д゚)アーアーキコエマンセンネー
まず降り立ちましたのは、JR衣笠駅。
衣笠は駅名こそ『きぬがさ』となっていますが
地名は『きぬかさ』と読むのが正式のようです。
しかし観光協会のページですら『きぬがさ』になっているんですよね……
戦艦「比叡」の慰霊碑がある光心寺の最寄駅でもあるので
訪れたことのある司令官も多いんじゃないでしょうか。
近くの衣笠商店街では「はいふり」のキャラクターたちが所属する
「横須賀女子海洋学校」の入学を祝う横断幕が掲げられていると
吉田横須賀市長のTwitterで流れていたので、それを探しに。
商店街ではどれくらいプッシュしているのかなあと探してみました。
まず掲示板にポスター発見
他は……
「暮らしの器 ヨコハマ マルト 衣笠店」さんのお土産コーナーにポスター発見。
「三河屋さん(肉屋)」さんでは店頭で「はいふり」映像を流していました。
……いいのかな。
そしてさらに商店街の奥に進むと……ありました!
横断幕です。
思ったより少し小さめですかね。
「はいふり」公式アプリの「はいふりカメラ」で撮っておきましょうか。
「はいふりカメラ」はこのようにキャラクターフレームを付けた写真が撮影できるのですけど
フレームがなかなか反映されなかったり、
オートフォーカスでピント合わせている最中にシャッターが切れたりと
かなーり微妙な使い勝手だったりします。
(青葉がタブレットで使用しているのもあるかもしれませんけど)
でも今回みたいな目的には使えそうですねぇ。
さて、衣笠山に向かいます。
青葉は実のところ衣笠山には初めて行きます。
青葉の妹艦「衣笠」の艦名由来になっているとか言う話もありますけど
専門家からは否定されていたりと、あまり重要視していなかったのですよね。
それでもちょっとした噂を聞き及んでいたので、いずれ取材にはいくつもりでいたのですけど。
衣笠駅からは少し離れていることもあって少々尻込んでいたのもあります。
駆逐艦「峯雲」慰霊碑のある満昌寺に行く際に
衣笠商店街を抜けた先にある京急バス衣笠営業所からバスに乗ったのですが、
そこから見えたのが衣笠山だという話でしたので
これなら歩いて行けるかなと思い、
青葉、頑張りました。
衣笠駅から約20分ほど歩き、衣笠山公園に到着。
疲れました……
衣笠山公園は日露戦争の戦勝記念事業の一環として
頂上に三浦半島出身戦没者と「芳名不朽」と刻まれた忠霊塔が建立され、
全山に桜とツツジを植樹して明治40(1907)年4月18日に開園しました。
この忠霊塔は残念ながら戦後に撤去されてしまったそうです。
横須賀の桜の名所のひとつとされていますけど、
さすがに時期は終わっていて、代わりに藤棚を見つけました。
きれいですねえ。
さっそく案内板に貼られた「はいふり」ポスターを発見。
このポスターではかなり見渡せるように構図ですが、
ここまで来ても木々が阻まれて景色が見渡せませんねぇ。
先に行ってみると、ここなんか良さげですね。
「はいふりカメラ」で撮っておきましょう。
どうでしょうか?
もう少し進むと広場に円形の台座があって観音堂とあります。
前述した忠霊塔はこちらにあったみたいですね。
大砲の砲身を利用したものだったそうで、こちらのように絵葉書にもなっていたようです。
さらに先に進むと展望台がありました。
ここからだとだいぶ見渡せますねえ。
中二階には方位盤がありました。
さて、登ってくるときにショートカットして衣笠山公園に隣接する衣笠神社をスルーしてしまったので
戻りつつそちらに向かいます。
ん? 何か石碑があります。
「満期記念碑」
諏訪公園にもありましたねえ。
兵役が無事終わった記念に植樹するのが伝統だったんでしょうか。
また何か巨大な石柱碑がありますね。
「西田明則君之碑」
こちらは東京湾の観音崎と富津三崎の間に浮かぶ人工島、
第一海堡・第二海堡・第三海堡の建設に尽力した「西田明則陸軍工兵少佐」の功績を
讃えるためのものです。
西田少佐自身は海堡の完成を見ることなく明治39(1906)年に80歳で亡くなられたそうですが、
有志が三つの海堡を一目で見える衣笠山公園に大正11(1922)年8月に碑を建立したとのこと。
一番苦労した第三海堡は
この碑が建立された翌年、大正12(1923)年9月1日の関東大震災で
壊滅的な被害を受けて破棄されてしまうのですけど。
さて、衣笠神社に到着。
青葉型重巡二番艦「衣笠」の艦内神社……と勘違いされる方も多いのですが、
「衣笠」の艦内神社は京都府の平野神社と
横須賀・観音崎近くにある走水神社とされています。
ただ「衣笠」の副長より先の二社に加え、
衣笠神社にも軍艦衣笠写真額を奉納したという話もあります。
まあ、あっても非公開という話もあり、見られることは期待してなかったのですけど。
ちゃんと正面の参道から社殿にお参りをして……
おや、社殿の扉が開いてますね。
こっそり中を覗かせていただくと……なんかありますよ!
古い絵馬に混じって、軍艦の写真額です!
んん?
でもこの特徴的な艦橋は高雄型では?
ちなみに高雄型重巡は四隻とも横須賀を母港としていたようです。
その関連なんでしょうか?
あれ?
見難いですけど、正面の裏側にもありますね。
これが「衣笠」でしょうか?
より詳しく調べないといけませんね。
宿題をゲットしつつ、横須賀に戻ります。
衣笠山公園・衣笠神社
JR横須賀線衣笠駅より徒歩20分
URL:http://taura.y-parks.jp/kinugasayama/
青葉写真館本文で紹介できなかった写真たち
なんか句碑がありますねえ……
「しら露も こぼさぬ萩の うねり哉 はせを」
はせを? どなたでしょうか?
先ほどの案内板で確認すると……「芭蕉句碑」
はせを、はせを、ばせを、ばしょを、ばしょう、芭蕉。
目からウロコが落ちました。
「忠犬タマ公の碑」
犬なのにタマ……
なんでもタマさんは新潟県の飼い犬で、
雪崩に巻き込まれた主人を二度にわたり救出した美談がラジオで全国放送されると、
横須賀市に在住の新潟県出身の退役海軍将兵が組織していた「互立会」が
感激してタマさんが寝起きしていた場所の土をもらいうけ碑を建てたそうです。
最初は衣笠山公園近くの個人のお宅の敷地にあったそうですが、こちらに移設してきたそうです。
ちなみに碑の揮毫は小泉家初代の小泉又次郎先生。