鎮守府新聞ワレアオバ│Naval District Newspaper Ware Aoba

遠征報告:艦内神社の本社巡り(重巡羽黒・最上)
2016.05.01

どうも、青葉です。

ゴールデンウィークです。
前線に基地航空隊を設置する作戦の発動が目の前に迫っていますが
青葉の所属するAcnos艦隊は東北への慰安旅行中なのです。

本来は艦これや海軍にまつわる場所は予定にありませんでした。
(ホテル「瑞鳳」のある秋保温泉には宿泊しましたけど)

山形県肘折温泉で2泊のぷち湯治をするにあたり、
宿でゴロゴロしているのでも良かったのですが
ふとどこか観光でもしようかなと思い立って地図を広げてみたところ……

地図の左斜め上にありました

『羽黒山』

言わずもがな、妙高型重巡洋艦四番艦「羽黒」の艦名由来となった山です。

羽黒さんは青葉と同じく三菱造船長崎造船所で建造されましたから
いとこのような感じですかね。

山があれば、そこに信仰があるのが日本古来の宗教観です(暴論)

「羽黒」の艦内神社に納められていた神霊は
羽黒山に由来する神社であろうことが想定できます。

で、調べました結果。
羽黒山山頂に鎮座する「出羽(いでは)神社」だと判明。

おや? 「最上」の艦内神社の本霊もそちらにあるんですか?

最上型重巡洋艦一番艦「最上」は
その艦名を山形県を流れる最上川に因みますが、
艦内神社として奉られていたのは「月山神社」。

月山は羽黒山、湯殿山とともに出羽三山と呼ばれ、
修験道を中心とした山岳信仰の場です。

出羽三山の山頂それぞれに神社があるのですが、
羽黒山には3社の神を併せて祀る三神合祭殿が建立されています。

つまり羽黒山の三神合祭殿を参拝すれば
「羽黒」「最上」の艦内神社の本社を訪れたことになりますね。

最上さんは青葉からすると直接的な縁は薄いのですけど
一体感を感じるサムシングがあるんですよね……
何なんでしょうね(空目

まあ「最上」に関しては月山山頂の「月山神社」を詣でるのが
本来の筋かも知れませんけど、そこは勘弁していただきましょう。
そもそも月山は7月の山開きがされないと詣でることが出来ませんし。


天気は小雨が降ったり止んだりな感じでしたが、
最上川を横手に眺めつつ、自動車で1時間半。


本来は羽黒山の麓の参道からお参りするのですが、
祭殿近くまで車で行くルートがあるのでそちらを利用。
到着するころには雨が大粒になっていました。

駐車場で車を降りて三神合祭殿へと向かいます。



三神合祭殿は屋根を修復中らしく、
工事幕などが張られていたのが残念でしたが祭殿自体は参拝可能でした。


「最上」の艦内神社「月山神社」、
「羽黒」の艦内神社「出羽神社」、
そして「湯殿山神社」にお参りをさせていただきました。

さて、ここに来るに当たり青葉は心に定めたことがあります。

なんだかんだで艦内神社の本社に参拝することが増えてきました。
時に遠方に出ることもありますが
参拝のしるしが写真などだけでは勿体ないのではないか。

そこで思い出したのが「ご朱印」
そもそもは寺社に写経を納めた際の受付印であったとされています。
※諸説あります

艦内神社の本社を参拝したあかしとして
ご朱印を頂いて行こうかなと考えたのです。

とはいえ、ご朱印を頂く習慣が全くなかったので
ご朱印帳というものを持っていません。

お守り販売所(授与所)で譲っていただけたりするのかなと
覗いてみたら……ありました。

係の巫女さんにご朱印帳とともにご朱印をお願いすると
プラスチックの番号札を頂きました。
これが時代ですか……

そして頂いたのがこちらです。

これから艦内神社巡りをする際には必携しないといけませんね。



以上、青葉でした。

出羽三山神社(重巡羽黒・重巡最上・艦内神社本社)

鶴岡市から庄内交通バス羽黒山行きで50分
URL:http://www.dewasanzan.jp/

おまけ


羽黒山の麓には出羽神社の五重塔(国宝)があります。


麓の随身門(こちらも寺社時代は仁王門)から階段を下り
5分程度進むと杉並木の中に見えました。



神仏混合が盛んであったころの名残であるそうですが、
明治の廃仏毀釈により神社の五重塔は多くが破却され、
現在、神社で五重塔を備えているのは
こちらの出羽神社、広島の厳島神社、日光東照宮の3カ所だけだそうです。



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