鎮守府新聞ワレアオバ│Naval District Newspaper Ware Aoba

遠征報告:青葉、舞鶴に往く
2014.09.06

どうも、青葉です!

何故だかわかりませんが青葉は今、京都府舞鶴市の東舞鶴駅にいます。

時刻は午前8時を少し回ったところ。
わりとというか…結構閑散としてるんですね…

じゃあなくて、なんで舞鶴にいるんですか!?

司令官「舞鶴視察だよ。ブツブツ言ってないで行くよ」

舞鶴への視察は良いんですけど。
先月の呉視察から1ヶ月も経ってないんですよねえ。

司令官「タイミングがこの時期しかなかったんだよ。
   具体的に言うと青春18きっぷが使用できる期間が」


結局それですか……。
まあ気を取り直して青葉、舞鶴取材を開始します。

司令官「視察である」

了解しました。

司令官「バスとかあるらしいのだが…」

ええと、「舞鶴かまぼこ手形」を購入するとループバスとか乗り放題みたいですね。
でも9時30分以降に動き始めるみたいですよ?
(現在時刻:8時7分)

司令官「……歩くか」

そうですねえ。



東舞鶴駅より徒歩15分ほどでレンガ造りの北吸トンネルに到着。

ここは舞鶴鎮守府への物資の輸送を担っていた中舞鶴線の鉄道用のトンネルでした。

鉄道路線の廃止後はその跡に遊歩道が設置され
明治37年に築造されたイギリス積みの北吸トンネルも
今は歩行者と自転車のみが通れるトンネルと成っています。


北吸トンネルから路線跡を辿って行くと

右手に舞鶴赤レンガパークが見えてきます。
旧鎮守府の倉庫施設だったものですね。

現在残る12棟のうち5棟が赤レンガパークとして広く市民に開放されています。
残りの7棟は海上自衛隊などが倉庫として現在も使用しているとのことです。

赤レンガパークをあとにし、北吸桟橋の前を通過しますが、
早い時間なのでまだ閑散としていますねえ。



島風ちゃん発見しちゃいました!
赤レンガ配水池? 見に行ってみましょう!

登っている途中でイージス艦を発見しちゃいました。
艦番号からするとDDG-175『みょうこう』ですね。

おや?舞鶴にも艦番号の消された艦艇がありました。
さすがにこの距離では消された番号は確認できませんねえ。

着きました。
これが赤レンガ配水池でしょうか?

中はこのようになっているみたいですねえ。
ちょっと首都圏外郭放水路みたいな感じです。

もう1隻イージス艦を発見しました。
番号は見えませんが艦尾の名前からDDG-177『あたご』ですね。

舞鶴湾。いい眺めですねえ。



舞鶴地方総監部。
さすがにまだ早すぎるようです。開いてません。

青葉たちはひたすら西へと向かいます。

SLがありました。
どうやら、中舞鶴線の終着駅、中舞鶴駅があった場所のようです。


さて次の目的地、共楽公園にたどり着きました。

事前にチェックした情報ではこの公園の中に海軍墓地が有るとのことでした。

呉では海軍墓地に行けませんでしたので
舞鶴ではしっかりとご挨拶させていただこうと思います。

公園の案内図。
あれ?ありませんよ?

忠魂碑がありました。

舞鶴工廠で亡くなった方のための鎮魂碑がありました。

うーん。海軍墓地ってこれだけですか?
先月行こうとしたときに事前に調べていたものと違うようですけど…

司令官「こっちに地図があるぞ」

ホントですか!? どれどれ…

海軍墓地って書いてあります!
公園の敷地の中じゃなかったんですね。

え?これを行くんですか?

少し山道を言った先に…ありました!

多くの慰霊碑が建立されていますが、艦これに関するものだけ紹介します。

「航空母艦大鳳戦没者碑」
大鳳は舞鶴鎮守府籍でした。

司令官「わざわざ来たのだから大鳳来ないかなあ」

そういう不順な動機はだめじゃないでしょうか?

「第五艦隊司令部戦没者慰霊碑」
第五艦隊の主な活躍はアリョーシャン方面での戦いですね。

那智、足柄、木曾、多摩が所属していました。
あと阿武隈や一水戦の駆逐艦もですね。

海軍墓地は二段に分かれています。こちらは下段です。

「軍艦利根、筑摩の碑」
利根、筑摩も舞鶴鎮守府籍でした。

「キスカ島及びその周辺 陸海空域戦没者慰霊碑」
キスカ島は3-2のキス島のモデルになった場所です。

アッツ島玉砕ののち、木村昌福提督がキスカ島の陸海軍兵士を全員無傷で撤収させたことは
『奇跡の作戦』と呼ばれています。

余談ですが、映画『太平洋奇跡の作戦 キスカ』のDVDには
キスカ島から生還した後に大鳳に配属された方のインタビューが収録されています。

その他、誰が作っていらっしゃるのか手作りの説明がたくさんありましたが、
屋外なので風雨で色褪せて無残なことに成っていました。
ちょっと残念ですねえ。


さて、いい時間になってきたので、護衛艦を見学できる北吸桟橋に移動します。


入口で受付をして。

DDG-177『あたご』です。
こうして見上げると大きいですね。

AOE-425 補給艦『ましゅう』。
インド洋での洋上補給任務にも派遣されました。

桟橋の一番奥にAMS-4301 多用途支援艦『ひうち』が停泊していましたが

これは……。

はやぶさ型ミサイル艇のPG-824『はやぶさ』。奥はPG-828『うみたか』。

はやぶさ型ミサイル艇は水雷艇の命名規則を受け継いで、鳥の名前が使用されています。
前級は「1号型ミサイル艇」という素っ気のないものでしたけど。
そして次級はコンパクト護衛艦に代替され、ミサイル艇は開発されないそうです。


先ほど見かけた艦番号の無い退役護衛艦について
案内係の隊員の方に聞いてみましたが「舞鶴の船ではないので分からない」とのことでした。

青葉注記:後日追跡調査したところ、はつゆき型6番艦、DD-127『いそゆき』であると判明しました。
退役までは佐世保所属だったようです。



続いては湾内遊覧に行きます。

遊覧船乗り場近くにいたすがしま型掃海艇、MSC-681『すがしま』。MSC-682『のとじま』。
徐々に退役しつつある木造船体の掃海艇です。

遊覧船はかなり近くまで護衛艦に寄ってくれるのでお勧めです。

そういえば朝から何も食べていませんでした。
赤れんがパーク内の「Cafe Jazz」にて海軍肉じゃが丼を頂きました。

舞鶴は呉と肉じゃが発祥の地を争っているそうですね。
もはやプロレス状態な気もしますが…

お腹いっぱいになったので視察続行です。



旧魚形水雷庫。
いまは赤れんが博物館になっています。

主にはレンガについて歴史などの展示となっていますが舞鶴の旧海軍についての展示もあります。

少し舞鶴から離れたところにある、舞鶴引揚記念館。

戦後引揚指定港となった舞鶴での引揚げの様子とシベリア抑留についての展示がされています。
ちょっと見るのが辛かったですね。


舞鶴に戻りました。


舞鶴地方総監部。
旧海軍機関学校庁舎だった建物です。

なんか砲弾ぽいものが芝生の柵に使われてました

舞鶴地方総監部内にある海軍記念館。
海軍機関学校時代の大講堂だった建物の一部が資料館として公開されています。

エントランスです。

旧海軍に関する資料が展示されていましたが、写真撮影は禁止となっていました。
真珠湾攻撃時の「トラトラトラ」の電報などがありましたよ。


大講堂

司令官が他所の司令官に遭遇して、先日のAL/MI作戦について長く話し込んでいました。
青葉、退屈しちゃいました…。

以上が司令官と青葉の舞鶴視察でした。

見学時間までにたどり着けないという理由で「第23航空隊」の見学できなかったのが残念です。

ちなみに帰りは大雨で電車が大幅に遅れて大変でした。
(前日は電車が運行を見合わせるほど降っていたんですけど

青葉と司令官の舞鶴行動地図

前述した「舞鶴かまぼこ手形」を購入したんですけどループバス同士の接続が悪くて
ほとんど歩く羽目になりました…


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