鎮守府新聞ワレアオバ│Naval District Newspaper Ware Aoba

遠征報告:逢いにいける錨
2015.01.04

「初霜の錨を見に行こう」

そんな言葉が司令官から出たのが始まりでした。

どうも、青葉です。
明けましておめでとうございます。
今年も青葉とワレアオバをよろしくお願いします。

新年早々、司令官と皆野提督と間宮に行ってきました。

間宮での食事を終えてひと段落ついたのち、
司令官からボソリと出たのが冒頭の言葉でした。

先の大戦では戦艦大和の特攻(天一号作戦)に同行しながらも
負傷者2名、戦死者無しで生還。

終戦間際に触雷による沈没回避に擱座させられたことで、
その役目を終えた初春型駆逐艦四番艦、初霜。

戦後解体されたのちにその錨は
かつて初霜で軍医を務めていた方が東京に開業した病院に置かれている。

青葉が知識として知っていた情報は以上のものでした。

司令官もどこにその病院があるのかすら
言い始めたときは知らなかったようです。

しかし、解らないものは調べれば良いだけのことです。

司令官のタブレットで検索した結果。
墨田区は両国の山田記念病院というところにあるとわかりました。
間宮のある秋葉原からは電車でわずかに2駅。

ほんの目と鼻の先にあるならば、行かない理由はありません。

皆野提督「まさか今日突然行くことになるとは思わなかった」

大丈夫です。青葉も思いませんでした。

秋葉原から総武本線で2駅、両国駅に降り立ちました。
両国駅からは徒歩15分。

そこにありました。
大きさは2メートル程度。

司令官「意外に小さいな…」

すぐそばには銘板が置かれていました。

 この錨は歴史ある日本海軍駆逐艦初霜の錨である。
初霜はさきの大戦に北はアリューシャン、南は仏印、
シンガポール、比島にわたる広い太平洋海域で勇戦、
最後は昭和20年4月戦艦大和沖縄特攻にも参加し、
同年7月30日宮津湾に於いて対空戦闘中触雷擱座して
任務を終わった。終戦時には日本海軍の駆逐艦203隻
の多くが遠い海に沈み、残存の33隻の内ほとんどを連
合国に接収された。初霜は日本に残り解撤され、その
錨がこれである。
 私は昭和15年軍医長として初霜に乗組み作戦に参加
した。縁あって私のところに来たこの錨を伝統ある帝
国海軍の遺産として長く後世に残しておきたい。

昭和54年5月 山田病院初代院長 元海軍々医少佐
山田 正明

※解撤:解体し、撤去すること。

司令官「お疲れ様。としか言えんわ」

ちなみに司令官。
青葉も解撤された艦ですので所縁の品は現在も保存されてますよ。

司令官「どこに?」

江田島の兵学校(海自第一術科学校)と大和ミュージアムにあるようです。(Wiki調べ)

司令官「大和ミュージアム…あったか?」

あるらしいですねえ。
青葉もどことは知りませんでしたけど。

司令官「まあ、江田島は行きたいと思ってるし、何とかするよ」

よろしくお願いします!

青葉の調べたところ山田記念病院はロゴマークも錨の意匠を使用しているそうですが
残念ながら現地ではマークを掲げているところを見つけられませんでした。
(Webサイトでは確認できるようです)

以上、青葉、新年最初のレポートでした。

駆逐艦初霜の錨(山田記念病院玄関脇)

JR/都営大江戸線「両国駅」より徒歩15分
URL:http://www.yamada-kinenhp.jp/

青葉写真館
本文で紹介できなかった写真たち

甘味処間宮で頂いたメニュー(いくつか赤城さんがいます)


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