鎮守府新聞ワレアオバ│Naval District Newspaper Ware Aoba

遠征報告:旧横須賀鎮守府に潜入しました! (1/2)
2015.10.03

どうも、青葉です。

今日は在りし日の横須賀鎮守府。
在日米海軍横須賀基地(以下、ベース)に行ってきました。

横須賀市で観光ボランティアを行っているNPO法人
よこすかシティガイド協会が主催する横須賀ベースツアーは年に数度開催されていますが、
毎回150名程度の人数でうち100名が横須賀市民からでしたので
なかなか参加のハードルが高いものでした。

青葉は横須賀市民ではないので市外の50名枠に入るように申し込みをするわけですが、
7倍程度の倍率があるそうで、毎回惨敗していました。

横須賀市民の皆野提督に申し込んでもらったところ
一発で当選したため、今回ようやく参加にこぎつけたわけです。

最初からこうしておけばよかったのかもしれませんが、
これまでは開催日が平日だったり、入場するための証明書の所持の問題だったり
皆野提督の都合に合わなかったのですよ。

閑話休題


ツアーは横須賀駅から出発。
ヴェルニー公園、ドブ板通りの見学を経てベースのメインゲートから入場しました。


米海軍からは案内役として男女2名の軍人が同行。
日本語が達者なわけではないので通訳さんも付きます。

旧横須賀鎮守府庁舎は正面ゲートから入ってすぐの場所にあるのですが、
周囲の木々が多い茂っていて目隠しになっており、残念ながら見通すことが出来ません。


とりあえず側面だけ撮影しましたけど
まあ後で回っていただけることでしょうからそれまでのお楽しみなのです。

まず案内されたのはメインゲートから入ってすぐにある

『震災記念の碑』
ここでいう震災は関東大震災のことです。

関東大震災では横須賀にも多大なる被害が発生しました。

海軍工廠も例外でなく、船台で建造中だった『天城』が被災して修理不能の損害を受けた他、
職員125名が殉職しました。

しかし1000余名いた職員の中には退廠が許されているにもかかわらず、
我が身を顧みず防火、救護、応急作業に従事した方もいたそうです。
昭和7(1932)年9月1日、彼らの義勇奉公を顕彰するべく、海軍工廠によって建立されました。

コンクリート製の台座の上にはブロンズ製の地球儀が据えられ、
震災の発生した11時58分を示す時針が横須賀を中心とするようにして示されているそうです。

近くで見せていただけなかったので、残念ながら遠景のみの写真となりますが。



『横須賀海軍工廠庁舎』(現、米海軍CPOクラブ)。
古そうな建物だなあと思っていたら昭和2年竣工だそうです。
外観は当時の様式を留めています。

CPOクラブとは『Chief Petty Officer's Club』
日本語訳すると下士官クラブという感じでしょうか。


建物入口の右側には『9.11テロの碑』があり、
ツインタワービルとペンタゴンの建物を模しているそうです。


左側には『工廠庁舎沿革碑』
こちらは初代の建物が関東大震災で崩壊したのち、
昭和2(1927)年に今の建物が竣工した際に建立され、
初代庁舎の煉瓦などで造られているそうです。

沿革の銅板が金網でよく見えないのが難ですねえ……
こちらのように書いてあるそうです。



『泊船庵の碑』
鎌倉時代の禅僧、夢窓國師がここに泊船庵という庵を構えていたことを伝える碑です。
長くその場所が分かっていなかったそうですが、史料によりここと推定するに至り、
在日米海軍の協力を得て建立されたそうです。

またこのあたりは尾根を崩して整地したため、地層がはっきりと表れていたそうです。
そこからは化石なども見つかりました。

それがなんとナウマン象だそうです。

青葉はナウマン象は長野県の野尻湖で発見されたのだと思っていましたが、
最初の化石が発掘されたのは実は横須賀のこの地だったとのこと。

横須賀市立自然・人文博物館にはナウマンゾウの全身骨格模型のほか、
実際に横須賀で発見された化石も展示されています。

基地内の史跡は鎮守府時代に由来するものだと思っていたので
こういうものがあるとは青葉も知りませんでした。


次は本題のドライドックの見学。
先日の二術校の記事でも書きましたが、5号ドックが入渠中のため見学は不可。
4号ドックが入渠準備中のために撮影禁止ということでした。

艦これに登場する艦娘たちは実艦としては4、5号ドックでないと使用できない全長なのですよね。
特に5号ドックが見られないのは残念でした。

『1号ドック』


江戸幕府の命で建造が開始されましたが途中で大政奉還が起こり、
新政府によって事業が継続されて明治4(1871)年に完成。

設計はヴェルニーさんと、その部下のL.F.フロランさん。
頑丈な地盤に作られたこともあり、関東大震災でも大きな破損をしなかったそうです。

石造りのドライドックとしては国内最古のものです。
『明治日本の産業革命遺産』に真っ先に入れられるべきと思うのですけどねえ
(現役の軍事施設だからダメという話もあるらしいです)

昭和10(1935)年に先端部の延伸工事が行われ、
その部分は石積みではなくコンクリートで建造されています。

『2号ドック』

設計はヴェルニーさんが製鉄所内に設立した
技術者養成施設、黌舎(こうしゃ)で学んだ恒川柳作さん。
恒川さんはこの後に横浜船渠、呉鎮守府、佐世保鎮守府、舞鶴鎮守府で
ドライドックの設計に携わりました。

お雇い外国人の指導を受けた日本人が設計したというのは
技術の潮流を見せられているかのようですね。

建設当初としては東洋一の巨大ドックでした。
青葉の時代の艦船にはちょっと長さが足りませんが、軽巡夕張が入渠出来たそうです。
まあ彼女は軽巡でも一番小柄でしたからねえ。

『3号ドック』


3号ドックは1号ドックの完成後すぐに着工されました。
設計はこちらもヴェルニーさんとL.F.フロランさん。
小型船舶用のドックで、先端部がアーチ状になっているのが特長です。
アーチ部分の先端は傾斜が作られていて、
クレーンがない時代はその傾斜を利用してドックの底面に資材を下したのだとか。

こちらは延伸工事などが行われなかったので、
建造当初のままの姿を残す最古のドックとなっています。

ちなみに建造順は1号、3号、2号の順です。
まあ管理番号なんですね。
1号と3号の間が比較的広く取られていることから、
2号ドックはもともと建造される前提であったとも言われています。

建造開始年にばらつきがあるのは、当時の日本の財政事情によるものだそうです。
みんなビンボーが悪いんですよ……

3号ドックの隣にあるこちらの建物は
『海上自衛隊第2潜水隊群基地』

潜水艦司令部は船越の方にあるのですけど。
ヴェルニー公園側から見るといつも潜水艦が停泊しているところがそうです。

『4号ドック』

撮っちゃダメと言われていましたが、
ツアー参加者が横合いから撮るのを注意されなかったので青葉も1枚だけ。
中が見えてないからセーフ……ですかねえ?

明治半ば以降、海軍力の増強に伴う軍艦の大型化が進み、
それに対応するドックが必要となりました。

旗山と呼ばれた丘を崩して海を埋め立てて整地した土地に
ドック入口部を石造り、主体部をコンクリートといった形で建造されました。
当初は3号ドックのような先端部に傾斜があったそうですが、
昭和初期の延伸工事で撤去されたそうです。
延伸工事は大戦末期にも行なわれ、高雄型の重巡クラスが入渠できます。

『5号ドック』

(写真はwikipediaより)
前述のとおりタイコンデロガ級ミサイル巡洋艦が入渠中でした。

こちらは明治末期にイギリスが革命的な戦艦ドレッドノートを竣工させると
建艦競争で艦船のさらなる大型化が進み、
4号ドックでも収まらない艦が建造されるようになりました。

明治44(1911)年に建造を開始、大正5(1916)年に完成。
完成後もすぐに延伸工事が施され、最終的には全長320メートルに。

日本海軍の艦艇で大和型戦艦が出現する以前までは
全長では空母赤城、全幅では戦艦長門、喫水では戦艦扶桑がそれぞれ最大でした。
これらの修理回収が可能なドックは、この5号ドックと呉工廠の4号ドックのみだったそうです。

ちなみにこちらの5号ドックですが、
龍驤(空母)のwikipediaに掲載されている「船体建造中の龍驤」の写真で
当時の様子を伺うことが出来ます。

4号、5号、6号のドックでは2000年頭まで
戦前から使用され続けてきたクレーンが使用されていたそうです。



4号ドックを後にし、かつては小海と呼ばれた方面へ向かいます。
現在は米海軍の艦船が停泊するバース(係留施設)として番号が振られています。
どういう風に振られているのか、資料がないのでよくわからないんですけどね。
有名なのは原子力空母が停泊する『12号バース』ですね。

ちなみに戦艦長門は昭和20(1945)年7月の横須賀大空襲の際には
12号バースに当たる小海岸壁に停泊していて、爆撃により中破しました。

まず見えてきたのは第7艦隊の旗艦を務める揚陸指揮艦ブルー・リッジ。


武装の近代化が図られていますが、艦齢45年という古参です。
機関が蒸気タービンと言いますから驚きですね。

そして12号バース。
去る5月に横須賀から離れたジョージ・ワシントンに変わり、
つい先日、10月1日に着任したばかりのロナルド・レーガンが停泊していました。



今日は着任後初めての週末でしたので、軍港めぐりクルーズも盛況のようですねえ。
でも青葉たちの方が近くで見れてますから!

12号バースに隣り合うように空母信濃が建造された6号ドックがありますが、
今日のツアーでは見せてもらえませんでした。残念。


お昼になりました。
ツアーは『Nimitz Blvd.(ニミッツ大通り)』を通って三笠公園方面へと向かい、
『Clement Blvd.(クレメント大通り)』沿いの
『KOSANO PARK(小佐野公園)』で昼食のための解散。

隣接したアメリカンな雰囲気が漂うフードコートで昼食を各自とります。

近くにマクドナルドもあったりするのですが、
青葉は手前のフードコートのハンバーガーショップでハンバーガーセットを注文。


A&Wレストランというらしいです。
日本では沖縄にもあるようですね。

960円だというので1000円札で支払ったら……セントコインで返ってきました。

記念品だと思ってとっておきます。

ドリンクのセットを頼んだら紙コップが渡され、
そばにあるドリンクバーの機械で自分で入れる方式のようです。

同じツアーの人がその機械を見て一言
「ペプシと、ダイエットペプシと、チェリーペプシがある!」
どんだけペプシが好きなんでしょうかねぇ。

青葉としては少し不満だったのはそのサービスの質でした。

ハンバーガーショップに注文してから商品が出てくるまで約20分強。
混んでいたからかというと、確かに混んではいましたが、
印象的にはお昼時間のマクドナルドの方が多いと思います。
注文が忘れられていたわけではなく、単純に遅かっただけのようです。
お昼後の集合時間もありましたので、なかなかスリリングな体験でした。

これを見て考えてみますに、日本のファストフードのサービスは質が低下したと言われていますが、
依然として高水準にあるのだなあと感じました。
まあ一概には言えませんけどね。


ハンバーガーはミートパティの味の存在が強く、
「ハンバーガー食べてる」という感じがとてもしました。
美味しかったです。


つづきます。

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