鎮守府新聞ワレアオバ│Naval District Newspaper Ware Aoba

遠征報告:横須賀と海の防人の伝統を考える (2/3)
2015.04.22

第3部はパネルディスカッション
テーマは「横須賀」と「海軍」について

青葉のメモを元に解説します。

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戦艦陸奥の主砲を横須賀へ里帰りさせる件について。
陸奥の主砲は現在、お台場の船の科学館に保存されています。
(「宗谷と戦艦陸奥主砲」参照)

陸奥は大正9年5月31日に横須賀海軍工廠で進水
昭和11年に横須賀で4番砲塔の改装が行われました。
この砲塔は4層構造になっており、当時の鍛造技術を知る上での貴重な資料とのこと。

2020年のオリンピックにあわせて船の科学館周辺の桟橋工事が行われるため
2016年までに移設が必要とのことです。

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現在米軍基地内にあるドックで
1号から5号までのドックは100年を経過しており世界遺産級とのこと。

ただし現在も軍事施設として使用されていることから
世界遺産に登録することがかなわない。

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横須賀市として
海軍は横須賀線や水道などのインフラを整えてくれた存在
4年前の東日本大震災における支援、
遡れば関東大震災時にも鎮守府の支援があったことは記録されている。

今年は150周年を盛り上げていきたい。
音楽隊のパレードを催す予定だが、制服を着てのパレードは初めてとなる。

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海軍の伝統とは、継承とは。
伝統を守るだけでは進歩がない。
自由闊達。意見を言えることが伝統。

2.26事件当時、鎮守府長官だった米内光政は
普段は静かでいざという時に動ける「サイレントネイビー」を目指した。

旧横中(現在の県立横須賀高校)では海軍の制服にならって
ポケットの多いズボンを制服に使用していた。

横須賀海軍工廠では西洋式の時間を日本で初めて導入し
それが海軍の5分前行動につながっていった。

金曜日に食べるカレーは、
海軍時代は土曜日に食べていた。

大事なのは自由闊達・臨機応変の精神。

横須賀市として
市民の郷土愛の醸成に向けてさまざまな機会に
少しずつ身につくようにこの伝統を伝えていきたい。

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海軍軍人の経験を踏まえて、
海軍の伝統と言われているものが非常時に大きく引っ張られていると感じる。
戦史を見ると常に緊張を強いられている家のように見えるが、そんなわけではない。
海軍の長い70年の歴史で培ってきたものを伝統とするべきで
一部分だけを見て伝統と捉えてしまうと間違う。

旧海軍のだけではなく、
残すべき思想としてもう一つの手本は米海軍のフレキシビリティ。
柔軟な思考を持つ必要がある。

人間は海棲動物ではないので、海で働いてナンボかだ。
陸にいると陸上動物になっていく。
陸と海の両棲動物となっていくためには海で生活することが重要だ。

童謡「我は海の子」
その9番目の歌詞には軍人になることが歌われていたが
軍国主義的として削除された
※調査の結果、7番目の歌詞でした。

時代がどのようなものであったかわかるようにすると
見えてくるものがある。

横須賀には史跡としては
第2術科学校、猿ヶ島、千代ケ崎砲台跡がある。

千代ケ崎砲台跡はレンガ造りの砲塔砲台の名残があるが
現在は海上自衛隊の管理下にあって自由に見られない。

千代ケ崎砲台跡については夏頃に市民向けに公開し
秋頃から市民以外にも公開していけるように調整中。

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まとめ

日本がアメリカに勝てるものは海岸線の長さ。
日本の物流の90%が海上物流。

横須賀は呉、佐世保、舞鶴とともに
旧軍港都市サミットを開催し災害協定を結んでいる。
今後も海上防衛の拠点の街との意識を持っていく。

横須賀地方総監と協議中だが
今年も10月くらいに護衛艦カレーフェスティバルを行いたいと考えている。
※今年は観艦式が行われるため、それに合わせて開催されると思われます。

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質問

・横須賀で航空部隊が充実したのはなぜか?

軍縮により戦艦・巡洋艦に制限がかかり、
山本五十六提督は10年をかけて航空部隊を育成した。

横須賀と呉にあった海軍工廠のうち
造船を保全上に有利だった呉に集中させ、
その空いた労力で航空機を伸ばしていったのではないか。

・横須賀と自衛隊の関係は?

密接な関係を持っていく
今年はツアー、パレード、カレーイベント等を開催するが
製鉄所150周年だから行うのではなく、継続的なイベントとしていきたい。

・オススメな史跡は?

旧海軍時代から使用されている第2術科学校近くの倉庫。
陸軍のものだが、観音埼にある砲台が復元されている。
久里浜にある陸上自衛隊通信学校。元は海軍通信学校だった。
水道みち。旧海軍マークの付いた標石などがある。
田浦駅のトンネル。明治・大正・昭和の3つの時代のトンネルが見られる。


つづきます。

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