鎮守府新聞ワレアオバ│Naval District Newspaper Ware Aoba

遠征報告:春の横須賀を巡ってきました。(旧横須賀鎮守府長官官舎編)
2016.04.02

どうも、青葉です。

遅れていた桜もようやく咲き始め、
春の訪れを実感してまいりました。

横須賀の春の恒例と言えば、
まず先日のスプリングフェスタですが
例年より早いせいもあって桜は蕾のままでしたから
その点ではいまひとつでしたね。

もう一つの春の恒例行事は
旧横須賀鎮守府長官官舎の一般開放です。

呉にある旧呉鎮守府長官官舎は入船山記念館として一般開放されていますが
横須賀の官舎は戦後米軍の接収を経て
昭和39(1964)年より海自横須賀地方総監部が田戸台分庁舎として管理しています。

一般公開は毎年4月上旬の5日程度だけ。
普段は地方総監部のレセプション施設として使用されているそうです。


最寄駅の京急県立大学駅に降りると、
そこから徒歩10分ほどで現地に到着。


天気がいまひとつでしたが見学に来る人は多めでした。

例年だと桜が盛りを過ぎたあたりなんですけど、
今年は桜が遅れていたこともあってちょうど満開でした。


玄関にはなぜか自衛艦旗が山ほど……

元防衛水産業の某司令官の話によると
現在の自衛艦旗はその意匠がプリントされたものが使用されていますが
昔は紅白の布を縫い合わせて作るという手間のかかる代物だったようです。
こちらものもそうなので、手間のかかった高級品ということですね。


玄関を入って左手に入ると記念館となっています。

室内は執務室然とした様相なので
「これがリアル提督の執務室か」などと言う方もいますが、
艦これにおける提督はほぼ艦隊指揮官なので、
ちょっと違うんじゃないでしょうかね。

海軍将官の敬称を提督とするならばそうなのですけど、
鎮守府司令長官と艦隊司令官とを同系統と見るのはおかしいと思います。
(例えるなら総務部長と営業課長のようなものでしょうか)

閑話休題。

書籍が収められた棚は意匠が凝らされた立派なものです。


中に入っている本。タイトルからして読んでみたいですねえ。


玄関に戻って反対側の部屋が応接室です。
2年前はソファセットも置いてありましたけど、
今回はピアノがある以外は片付けられていました。


こちらのピアノはスタインウェイ社製グランドピアノC型。

長らく由来不明だったそうですが、
日本海軍の従軍カメラマンとして樺太に赴任していた野坂保雄氏が
大正14(1925)年に帰国する際に現地のロシア人女性から譲り受けて
軍艦に積載して日本に持ち帰り、野坂氏の2人の娘さんが使用していたそうですが、
昭和4(1929)年、野坂氏が転居する際、ピアノが大きすぎて新居に入らなかったため、
縁ある海軍に寄贈したということが、ご遺族からの情報により判明したとか。


希望者はこちらで弾くこともできますが、
一般公開時以外にも横須賀地方総監に申し込むことで
練習や演奏会に使用することもできるそうです。

応接室に繋がる形で食堂があります。

食堂というより会議室な雰囲気ですね。

テーブルは旧海軍時代からのものだそうです。

掲げられた書は東郷平八郎元帥海軍大将揮毫

「集気海」(海に気集まるの意)


戸棚には東郷元帥海軍大将の銅像と
観光丸(江戸幕府の長崎海軍伝習所の蒸気練習船)の模型が収められています。

玄関から手前側は洋風なたたずまいですが、
奥の方は和風な建物に変わります。

これは呉の入船山記念館も同様ですね。
設計をした桜井小太郎先生は呉を建てたのちに横須賀の方も手掛けているので、
呉と横須賀の長官官舎は姉妹のようなものなのでしょうね。

もっとも入船山記念館が重要文化財なのに比べて
田戸台分庁舎はアメリカ軍接収時代の改修と
再利用の際の復元工事に多くの予算が割けなかったことと
現状で使いやすくするという形で改修されたため、
往時の復元は完全ではなく、文化財的な価値は認められていません。


2階には上がれないのでどのようになっているのか窺い知れませんが、
間取り図から推測すると寝室が置かれていたようです。

1階の奥へと続く廊下には歴代の鎮守府長官の紹介ボードが掲載されていました。



大正2(1913)年の完成から昭和20(1945)年の終戦までの間に
こちらに居住したのは31人。

その中には
「訓練に制限なし」の加藤寛治氏
二・二六事件時の首相だった岡田啓介氏
駐米大使として日米開戦回避に奔走した野村吉三郎氏
海軍三長官をすべて経験した永野修身氏
最後の海軍大臣、米内光政氏
「海軍乙事件」で殉職した古賀峯一氏
など
名だたる顔ぶれが見えます。

ちょっと変わったところでは
特撮作品で名高い実相寺昭雄監督の祖父、長谷川清氏も
こちらに住まわれたようです。


1階の和室はなんとも旅館めいた雰囲気を感じますね。
床の間の掛け軸も東郷元帥の書が掛けられています。

「窮理以致其知」

どうやら朱子学に「主敬以立基本、窮理以致其知」という言葉があり
そちらから引用されたようです。

調べても日本語で解説された資料がないのでよそ様のブログによると
「君主を敬うことを以て国家の基本が成り立ち、窮理を以てその知に至る」
という意味ではないかということです。

庁舎内の各所には
日本初のステンドグラス作家といわれる、
小川三知氏制作のステンドグラスもあります。


食堂から庭園と続くサンルームの鴨居部分には

葡萄のステンドグラス。


応接室の暖炉にはクジャクのステンドグラスがあったそうですが
米軍接収後の改修で外されたため玄関から入ったすぐのところに展示されていました。


玄関の上部


記念館の上部

記念館や食堂の棚にもステンドグラスがついてましたね。



庭園に出ました。
応接室前の桜は見事なものです。

洋館部分はハーフティンバーという様式で建てられたそうです。
梁などの構造材が外部に露出した北方ヨーロッパの建築様式ですが
外壁のほとんどは煉瓦タイル張りとなっています。


屋根の部分にはスレート(粘板岩)の薄板が使用されています。
色合い的に銅板ふきのようですけどね。


和風部分は瓦ふきですが、
接続部にさほど違和感がないのが凄いですね。


庭園の見晴台からは観音崎方面を臨むことが出来ます。
昔はこちらから東京湾に入ってくる軍艦を見ることが出来たんでしょうね。





立ち入りはできないようになっていましたが
庭園の隅に防空壕がありました。

係の方に聞くと現在も埋めておらず、
ちょっとした物置として使用しているそうです。


田戸台分庁舎の隣は現在、横須賀地方総監部総監宿舎だそうです。
田戸台から横須賀鎮守府までは車で10分ほどだったという話なので、
現在も有事に備えてこちらに宿舎があるんでしょうね。

また来年、桜の咲くころに訪れたいと思います。

つづきます。

田戸台分庁舎の開放

開催日:2016年4月1日(金)~4月5日(火) / 9:00~16:00(最終入門は15:30)
アクセス:京急県立大学駅から徒歩7分
URL:http://www.mod.go.jp/msdf/yokosuka/tadodai/index.html

おまけ


所用により翌日も行くことになりました。

何やら庭園で撮影している御仁が……

ヴェールヌイちゃんかと思いきや、制服からすると響ちゃんですね。

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